2014年12月14日日曜日

おとぎ話みたいな夢のつづき



2014年12月7日、今年もそろそろ終わりって時に、最高級にして最大級、人生のなかでもトップクラスに入る映画に出逢えた!

映画「おとぎ話みたい」
公式サイト→http://posthumous-work-of-girl.com

この日は映画公開記念イベントとして、同じ山戸監督の去年公開された映画「5つ数えれば君の夢」(以下「5夢」。自分がDVDを見た時の日記)の主演の一人、新井ひとみさん演じる斉藤りこと、バンド・おとぎ話のギターで勿論この「おとぎ話みたい」に出演している牛尾さん(牛尾先輩)が、ゲストで登場するという日だった。

《以下、公式サイトのイベント告知より引用》

■12月7日(日)おとぎ話みたいな夢の続き(※上映前)
ゲスト:斉藤りこ a.k.a 新井ひとみ(東京女子流)×牛尾せんぱい(おとぎ話)〈予定〉
山戸監督が2014年に発表した『5つ数えれば君の夢』と『おとぎ話みたい』2作の世界が、スクリーンの手前で溶け合う。東京女子流センターの新井ひとみ演じるミステリアスな美少女・斉藤りこと、ギターで語る男・牛尾せんぱいの奇跡の共演! アスタライト&おとぎヘッズ必見、おとぎ話みたいな夢を見る、一夜限りのスペシャル・コラボレーション。

こういう短期間の単館上映映画の常で、毎日のように色々なイベントが予定されていたのだけど、最近「5夢」を観たばかりで「斉藤りこ」というワードにどうしても反応してしまい即チケット取って(テアトル新宿はネット予約できて便利)この日に映画を観に行くことにした。
しかしその時点では、あの制服で出てきて何かこの2人と山戸監督でトークとかするのかな、ぐらいにしか考えてなくて、とにかくあの制服姿が生で見たい!見たすぎる!!(←きもいわ)としか思ってなかったのだが、その予想はまたも良い意味で全く裏切られたのだった。(制服姿はもちろん見られたけど)

劇場に入ったらスクリーン前のステージには牛尾先輩(おとぎ話)用と思われる椅子とマイクが弾き語りできる状態でセッティングしてあり、その瞬間に「これはもしや・・・」とドキドキしてきたのだが、山戸監督が劇場出入り口の扉のところで「おとぎ話みたいな夢のつづき、始まりまーす!」とあの可愛らしい声で叫んだら、本当にまったく夢のような時間が始まった!




新井ひとみさん演じる斉藤りこが卒業証書の筒を手にしてスーッと現れ、スクリーン前の舞台に上がってギターを抱えてスタンバイしていた牛尾先輩と出会い、2人とも少々棒読み気味な台詞で淡々と会話を交わした。
「5夢」のラストで海外留学していた斉藤りこは、卒業式のために一時帰国したが「つまんないから」という理由で卒業式を抜け出してきたらしかった。
その2人の会話というか小芝居的なものを観ていたら、斉藤りこという映画の中の存在が映画から出てきた・スクリーンから抜け出してきた様子と、「卒業式を抜け出してきた」という設定がオーバーラップしていることに鳥肌が立ってその瞬間から後はず〜っと泣いていた(客電が落ちてなかったので、泣くのが結構恥ずかしかったから必死で我慢していたが、途中からそんな事に神経を使うよりこの貴重な一瞬を見逃さない事に集中しよう、と思い直し我慢を諦めた)。
そして牛尾先輩がギターで「エリーゼのために」を奏ではじめたら、斉藤りこは今まで棒読みで喋っていたのが嘘のように自然に踊り始めて、客電が全部落ちなかった理由がこの時わかったが、斉藤りこはステージから降りて、客席の間の通路を踊りながら・手紙の便箋のような紙に書いてある「5夢」の中の台詞を朗読しながらくるくる練り歩いて、劇場全部を使って舞い踊っていた。
下手側の通路から出発して正面の出入り口前を通った時に非常灯に照らされた手のシルエットの美しさ、反対側の上手側通路からまたステージに戻ってくる途中で、二階から投げられた花びらの演出(「5夢」を観た人なら号泣必至のポイント)!
私はもうほんとに、「映画で最も衝撃的だったシーンが目の前で再現されるなんて、新井さんが斉藤りことして踊っている姿を目の前にする時が来るなんて、こんな事が現実にあるのか・・・!」と吃驚してアゴが外れるんじゃないかと思うぐらい口は開けっ放しだし涙は流すしで、気が付いたらものすごく喉が渇いていた。



そして牛尾先輩の「君みたいな女の子が、かつて居たんだよ」という言葉で、映画「おとぎ話みたい」本編の上映。


勿論まだドキドキしっぱなしだったし、こんなに特殊な精神状態で映画を観るなんて初めてだ〜!と不安になるほどだったが、その不安は一瞬で払拭された。




    *主人公の高崎しほ*

【注:ここからは映画のネタバレ含みます!】

この映画に関しては衝撃が大きすぎて(前のパフォーマンスも勿論衝撃的だったのだが、こちらは「すごいもんを観た!!」という衝撃なのでわりと人に語れる余裕がある)、まだうまく言葉に纏められない。
ツイッターではつらつらと感想のようなものをツイートしてそれを山戸監督が拾ってくださるという奇跡のような事があったが(嬉し恥ずかしかった)、
映画のことを想うと胸が痛くなって吐きそうになる気持ちと、それでもまた観たい、大画面で今すぐ観たいよー!と思う両方が同じ分だけ自分の中にある。
胸の痛みは自分の個人的な事情による。
私は東京生まれ東京育ちで、上京の夢や田舎への絶望のような経験を持たないし、自分の地元や学校の文化レベルの低さにガッカリしたくらいの事なら沢山あったけど、それでも思い返せば家族と友達に恵まれていて、この映画の中で高崎さんが苦しむ「理解されない辛さ」みたいなのも振り返ると全然なかった。
でもそういった表層的なことよりも、ちょっとした悲しい事や他人との齟齬で苦しんだ事や、積もり積もったものを胸の奥底にしまって見ないようにしていたんだなということを、この映画によって掘り出され、パンドラの箱が開いてしまったような感じになった。
が、趣里さん演じる高崎しほの動き、声、表情、とにかく身体ぜんぶが表すものが圧倒的に美しいので、過去の自分のドロドロまでもが勝手に浄化されたように感じられた。
「5夢」と同じくらいかそれ以上に饒舌で長台詞の多い映画だったと思うが、全くそう感じさせないのも趣里さんという女優さんの凄さだなーと冷静に思えるようになったのは観た後だいぶ時間が経ってから。

バンドのおとぎ話については全然知識がなかったけど(↑に貼った、山戸監督が撮った趣里さん出演のPVの曲「COSMOS」しか知らなかったが、映画の中で流れる全てが素晴らしい曲だった)、ふつうのどこにでもいそうな若者でもあるのに、それと同時に非現実的で漫画的、本当に「おとぎ話」から抜け出てきたみたい、特にヴォーカルの有馬せんぱいと、(この日生でも見た)ギターの牛尾せんぱい!と思った。

あと、勿論この直前に斉藤りこのパフォーマンスを見た影響もあるけど、それがなかったとしても「5夢」と繋がってるみたいに思えるシーンがいくつかあった。
それから、とてもドキドキする台詞(全編がそうだとも言えるが)の時に、主人公の顔を全く映さない暗く妖しいシーンが印象的だった。よく夢で見る「雰囲気や空気はとても印象的なのに顔が全く思い出せない」状態を思い出した。でも、相貌失認の人はもしかしたら全ての人間がこんな感じに見えているのだろうか。
それから最後の最後、一瞬だけ挟まれるあの先生のシーン!あの一瞬があるか無いかでラストの印象が全然違うし、映画ってこういうところが面白いなと思う。
あのシーン私はギャグ的に思えてちょっとウケたんだけど、その後すぐにゾっとして物凄〜く怖くなった。
可笑しさと恐怖って本当に紙一重だなと、つくづく思った。


そしてあんなに目に焼き付けたと思った高崎さんの美しい踊り・動きを絵に表そうとする時、身体の線が思い出せなくて上記のCOMOSのPVなどを一時停止して参照したりしたのだが、その行為の圧倒的不自然さに、「絵」はそもそも静止しているもので、動きの美しさを表そうとしているのに静止させてしまう事の矛盾と、以前から感じていた「時間を止めることは死と同じなのでは?」という事を改めて考えた。
勿論私の技術が低いためでもあるのだが、もっと根源的な、太古の昔からきっと変わらない「人が美しいものを絵に描きたいという欲」と、「それが永遠に叶えられないもどかしさ」は昔から延々と続いているんだ、私はこのもどかしい想いによって何千年も昔と何千年も未来に繋がった・・・!と、まさにおとぎ話みたいなことも思った。
それはアイドルの絵を描く時にも、私がいつも思っていることでもある。














































***追記***

12月15日、二回目に観に行ったら、初見で気付かなかった色々なことに気づいた。
今回は美術をじっくり見てみようと心に決めて観たら、高崎さんが恋する先生の資料室(この部屋が映画の中で何回も出てくる)が本当によく作り込まれていて、「こういう部屋って奈良さんのポストカードとかありそうだよな〜でもあんな目立つ絵があったら絶対初めて観た時に気づいてるはず」と思いながら観てたら、まさにその部屋のかなりバッチリ映る位置に、しっかりと奈良さんのポストカード(最初は薄ぼんやりとだけど、前述のとてもドキドキするシーンでは割とハッキリ、かなり長い時間映っている)があった事に気づいてその瞬間にまたぼろぼろと泣いた!!!
しかもその絵が、わりとよく知られている作風の絵じゃなくて、一番最近の展覧会の絵だったこともなんかグッときた。




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