2月14日(日) at 新宿 FACE
「ねもしゅーのおとぎ話 ファンファーレサーカス」
千秋楽公演。
蒼波純ちゃんの初舞台、趣里ちゃんとダブル主演、そしておとぎ話も出演(私にとってとても大切な映画「おとぎ話みたい」の、おとぎ話×趣里ちゃんの組み合わせが再び!)、しかも小さな頃から場面設定として大好きな『サーカス』・・・と、超個人的な夢のような要素ばかりが重なって、期待がこれ以上ないくらいに膨らみまくっていたのだけれど、その期待を軽々と飛び越えてくれた!
劇場に入ったら思ったより客席とステージの距離が近くて、まるで本当のサーカス小屋のようだった。花道のようにせり出した所に、大人二人座れるソファぐらいの大きさの巨大な本があった。舞台装置としては途中で引っ込んでいたけれど、この「巨大絵本」が常にお話の中心に在る象徴的な存在として印象に残っている。
ステージ全体にサーカス小屋のような装飾がされていて、奥の物々しいフェンスで囲まれた檻のようなスペースの中に楽器があって、それはバンド・おとぎ話のためのセットだとわかった。
おとぎ話が、この舞台のテーマソングと一聴してわかる楽曲「ファンファーレサーカス」(『ついでに僕らは おとぎ話〜♪』とさりげなく自己紹介している歌詞が印象的だった)を奏でて、趣里ちゃんを中心とする出演者のダンサーの皆さんが踊る華やかなシーンで幕開け。
趣里ちゃんの踊る姿を目の前で観た衝撃があまりにも強すぎて、このオープニングからもういきなり泣いた。
「サーカスの踊り子」という設定上、趣里ちゃんが踊るシーンがこの後何度も出てきて、私はその度にパブロフの犬状態でボロボロと恥ずかしいくらい泣いてしまった。
物語は蒼波純ちゃん演じる「妖精は本当にいる」と信じているファンタジーや空想が大好きで将来は童話作家になると決めている、主人公の中学生女子・音(オト)と、現実主義で音の言うことを全く信じないばかりか、もっと現実を見ろと言う同級生のミカコ(ハコイリムスメの神岡実希ちゃん、超可愛かった)の言い合うシーンで始まった。
頑固に「妖精はいる」という主張を曲げない音に呆れたミカコが帰ってしまってから、梨木智香さん演じる本物の妖精が出てくる。この、梨木さんの妖精が、ま〜従来の妖精の典型的イメージとかけ離れていてサイコーだった!まず体がデカい・背が高いだけでなく全体的にガッシリしている・声が大きくて、舞台人(月刊根本宗子の劇団員さん)らしい過剰すぎるぐらい過剰な演技と、こちらは自然すぎるぐらい自然な蒼波純ちゃんとの掛け合いが面白かった。
音はヘンテコな妖精の魔法で、絵本の世界に入り込む。
この絵本というのが、『ファンファーレサーカス』というお話。
しかし、妖精がテキトーに選んでしまったこの本は、音が「私、このお話嫌いなんだけど〜!違う絵本がよかったよ〜!」とブーブー文句を言うほど、悲しいお話だった。
趣里ちゃん演じる沙亜李(サアリ)は、あるサーカスの看板娘の踊り子で、サーカス団長の一人娘。母である団長は金儲けの事しか考えず、魔女と契約して沙亜李に誰もが夢中になる素晴らしい踊りを踊る能力を与える代わりに、二十歳の誕生日が来るとその能力は消え、恋に落ちた沙亜李が自ら魔女に『自分の一番大切なもの』を差し出すように仕向けられていた。魔女と契約して足が動かなくなった沙亜李は、その惨めな姿を見世物にされる。沙亜李が恋した相手は団長に檻に入れられて、二人は同じサーカス小屋にいても永遠に会うことはできない。
「足が動かなくなった未来の沙亜李」は根本宗子さん(言うまでもないがこの劇の作・演出)が演じ、普段は閉じ込められているが、その姿をステージに晒して団長が「足の動かなくなった踊り子ですよ〜!皆様、お恵みを〜!」と、客から金を巻き上げるという痛々しいシーンもあった。
沙亜李が恋に落ちる有馬(アリマ)は、その名の通りバンド・おとぎ話のボーカル有馬さんで、絵本に入り込んだ音はその有馬の役を演じることになる(ので、髪もモジャモジャになり男の子の格好)という、一つの役の過去と未来を二人の役者が演じる複雑な構成。クライマックスにはその他のサーカス団員たちなど絵本の全キャラクターに加えて、音を助けようと入り込んでしまったミカコまでもが物語の哀しい展開にブチギレて反乱を起こし、絵本の最終ページを破ってしまう。
その続きを音がペンをとってハッピーエンドに書き換える・・・という展開はこうやって書くと少々ご都合主義的に感じてしまうけど、「女の子が自分の力で哀しみだらけの世界を変える」という、このご時世にぴったりの爽快感があった。
ミカコが音の世界を受け入れていく過程や、母親が冷酷になったきっかけと思われる沙亜李の父親の死のエピソードなど、劇中ではバッサリ省かれていたけれど、もっとそこ掘ってほしかったな〜と思う所も多々あった。
でも、この劇はかなり「見せ場」というものがハッキリしていて、全てがその見せ場を引き立たせる為に作られているようにも思える(上記のエピソードがもし丁寧に描かれていたら、見せ場が最大限に活かされなかったかもしれない)。
印象的だったシーンは、何と言っても(音が演じる)有馬と、おとぎ話の有馬が歌いバンドが演奏し、沙亜李が「お金をとらずにタダで踊るな」と母親から言い聞かせられているにも関わらず、「こんな素敵な歌声を聴いていたら、踊らずにいられない!」とばかりに踊り出してしまうところ。
結構強引な展開だと思うし、何より「誰もが夢中になるサーカスの目玉」である踊り、という設定で、もしここで沙亜李のダンスがショボかったら、全くお話が成立しなくなってしまうリスクもある。しかし、その強引さも気にならなくなる説得力のある踊りだった。
趣里ちゃんの踊る場面は、「COSMOS」のPVで何度も繰り返し見たし、映画「おとぎ話みたい」のシーンも目に焼き付いているし、心の中で何度も再生していた。
映像と自分の記憶の中にしかいなかった存在が今、目の前で生きて動いているという事実に胸が震えたとか、その状況がまさに絵本の中に入り込む主人公と重なっていたからとか、理由を言葉にしてもどれも本当のこととは遠ざかるように感じる。
圧倒的なものを前にしては、只々涙を流すことしかできない。
それから、沙亜李がまさに足が動かなくなる直前、「この一曲だけでも有馬の歌と踊れたら、自分の一番大切なものを失ってもいい」と沙亜李が全身全霊を賭ける曲が、まさにその「COSMOS」だった、第一のクライマックスシーン。
物語の哀しい展開を誰もが知っている中で、一瞬に自分の全てをこめて踊る沙亜李の姿に胸が痛くなるのと、この曲の切なさが重なって、まるでこのシーンのために作られた曲のように感じた。
もしバンド・おとぎ話を全然知らない人がこの舞台を観たら、「ファンファーレサーカス」以外の曲も全部この舞台の為に書き下ろされたかのように感じたかもしれないと思った。
有馬以外の出演者が歌う場面はほとんどないので、ふつうのミュージカルともちょっと違うし、まさに「音楽劇」としか言いようのない舞台。単なるBGMとは全く違い、音楽が物語を動かしこの世界を包んでいて、音楽そのものが役者として舞台に立っていたみたいな感じ。
あと、やはり有馬さんのビジュアルの特殊さは唯一無二だと思った…一度見たら忘れられないお顔。これを観て、役者として有馬さんにオファーする人いるんじゃないかな〜とちょっと思った。
趣里ちゃんは、ダンスのシーン以外も「おとぎ話の登場人物」らしい戯画的なコメディエンヌに完璧になりきっていて、クルクル表情が変わって、とってもキュートだった。
(勝気な感じで『フンッッ!』てすぐ言うのが可愛かった)
カーテンコールの挨拶の時に、感極まった様子で話しながら突然みんなの列から離れてヒョコヒョコと前に出てきて、「あ、すみません…」となっていた若干挙動不審な可愛い動き→も忘れられない。
あんなにエレガントに踊っていた姿を見た直後に見たから余計にそのギャップが印象的だった。
蒼波純ちゃんは、初舞台ということを忘れてしまうくらい、「ここにいることが当然」という姿で舞台に立っていて、台詞の棒読み感とか表情の動きが乏しいなどの技術的なことはどうしても出番が多いので目立ってしまっていたけれど、それよりもそういった技術では出せない「その場にいるのが自然なことだと感じさせる力」が備わっているということが改めてわかった。
映画にも何本も出て、イベントなどでたくさんの人の前に出る経験を積んでも、純ちゃんは初めて見た時からずっと変わらない。
「普通」の女の子だけど、満員の客席の前でステージに立っても「普通」でいられる事の異様さを改めて感じた。
千秋楽はちょうどバレンタインの日だったので、アンコールの後に出演者の皆さんがチョコを投げてくれるという大盤振る舞いのサービスが。
なんと、蒼波純ちゃんと趣里ちゃんからチョコを貰えるバレンタインだなんて・・・!(実際に純ちゃんの投げたチョコをキャッチしたのは隣の席にいた連れだったので悔しかった)
蒼波純ちゃん、趣里ちゃん、サーカス、バンド・おとぎ話という、
自分が個人的に偏愛する要素がこれだけ揃い踏みしているのにそれぞれがケンカせず、綺麗に組み合わさった魔法のような舞台だった。すごい好きなものばかり入れた闇鍋が超美味しかった!みたいな気持ち。
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