2015年3月7日土曜日

ライムベリーと私


    ※豊洲のライヴ動画を見ながら去年12月になんとなく描いた絵




ライムベリーの現在の状況についてはいまだに何て書いたらいいかわからない。
状況を客観的に説明する気にもなれない。
よって、このブログは情報としての価値はありません。




大好きだった世界が突然消えた、しかも最悪の形で。
ということにまだ動揺していて、人と話している時はまだマシだが、朝起きた時や夜眠る前や、仕事で一人残って単純作業してる時などに気がつくと泣いてる時があったりして、情緒が不安定。
ただ、この世の大多数の人たちにとって、テレビにも出てないひとつのアイドルグループの揉め事や顛末なんて本当に取るに足らないことで興味も関心も無いということはよくわかってる。
不特定多数の人々が読むインターネット上の文章では、客観的で正確な情報を載せるべきとも思うし、単純に説明しないと読み物として不親切。
でも今、人に親切にする心の余裕が無い。
ライムベリーがどんなグループで、2015年の2月に何が起こったかを冷静に説明する気力も無い。


今は何を見てもライムベリーのことを連想してしまうが、つい先日三原順先生の展覧会で「はみだしっ子」の原画や関連グッズの展示を見た時、あの作品とライムベリーに共通点なんて全く無いのだが、
『世の中からはみだした四人の子供たち』
『はじめは四人の共同体だったが、様々な理由でバラバラになる』
という部分に(だけ)ライムベリーの四人の少女を重ねてまた泣いたりしていた自分、本当に馬鹿だなーと思う。
はみだしっ子の特別編「オクトパス・ガーデン」のように何か全然違うものに今の状況を例えて説明したい、と思ったけど文学的センスが無さすぎてそれも無理。


私は四人のことが本当に好きだったし、四人から一人いなくなってしまってからの、三人の絶妙で危ういバランスもとても好きだった。
そして何よりもEチケさんの作り出す音楽とその世界の中で生き生きと飛び回る可愛い女の子たちという奇跡、
引き篭もりで他人と上手くコミュニケーションがとれない男性の妄想の世界を生身の女の子たちが体現しているという奇跡、
目の前で未来と今が繋がった…!と思えた瞬間の奇跡、
そんなことが起こる場所は他になかった。

地下アイドルの世界ではリリースされなかった素晴らしい曲がたくさんあって、こんな事はわりとよくある事なのかもしれない。
でも、自分の人生では初めてだった。

沢山絵を描いたし、沢山の素晴らしい出会いがあった。
喜びも悲しみも、ほかの色々な複雑なものも、初めて知った感情が沢山あった。
ライムベリーのお陰で得られたものがいっぱいあった。
感謝の気持ちは勿論あるのだが、私はなぜか「ありがとう」と言う気になれない。
あくまでも今の私に限ってだが、「ありがとう」と「さようなら」が同義になってしまうような気がするからだ。







※四人のライヴを観たばかりの頃描いた絵。ものすごくバランス悪いが自分ではわりと気に入ってる。ある企画の為に大きいキャンバスにしたけど、企画自体が無くなり日の目を見なかった。




※私が「東京アイドル標本箱」というアイドルのライヴレポート連載を描かせてもらっているTRASH-UP!!(vol.20) にて、ライムベリーのインタビューが掲載されたのに合わせて私のページもライムベリーに。毎回気合い入ってるけど、特にこの回は気合い入れていつも送らない下書き案を送って、編集の方に確認してもらったりした。




      ※そして完成した原稿がこれ。





  ※2014年12月21日のワンマンライヴのフライヤーがなかったので勝手に作った。この後もうちょっと正確な情報(チケット代とか時間とか)を書き加えてコピーして配ったけど、結局前日になってしまいフライヤーの意味があんまり無かった。







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